渡邉 博史 写真展「Japanese Studies -日本を学ぶ-」 2008年10月2日(木)〜31日(金) 作家略歴 オリジナルプリント 写真集 |
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Gelatin silver prints, image size 10x10inches, matted in a 16x20inches archival matte, edition of 30, with Hiroshi Watanabe's signature and edition notations | |||
Copyright (c) Hiroshi Watanabe All Rights Reserved
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ある国の文化を理解しよう と思ったら、その国のことを熟知することは当然必要なことだ。そして、出来るだけその国に入り込み、そこの人達と融け合うことも大切なことだ。だから例え ば外国人が日本を知ろうと思ったら、たくさん日本人と友達になり、日本人と同じ様に生活をして、そのうち日本語がべらべらになり、究極的には日本人そのも ののようになることが望ましいと考えられる。しかし、学問や研究が目的の場合は、そうとは限らないようだ。以前ある学者から翻訳が本当に正しくなされたか どうかを確認するにはその2ヶ国語を調べるだけではダメで、いちど別の言葉に翻訳し、それを再翻訳して意味が同じになるかを確かめなければならないと聞い たことがある。日本語→英語の場合は、日本語→ドイツ語→英語という具合にして、両方の英語がマッチするかどうか確かめる。この翻訳の検算があって初めて その正確さが保証されるという。 同じ様に、日本を研究しようと思ったら、日本人になり切ってはだめで、常に第三 者的な客観的な外からの視線が必要な気がする。だから、むしろ外国人でいた方がいい。これは言葉の面から見ると、人間の思考が言葉を用いて行われることと 関係がありそうだ。つまり、日本人が考えるときは、頭の中で日本語を考えているし、ドイツ人はドイツ語で、中国人は中国語で考えている。ここで重要なの は、その思考自体がその言葉特有の文法と属性に支配されているということだ。だから、日本語で考える人は日本的な考えになり、イタリア語で考える人はイタ リア的な考えになる。そしてそれは本人にとっては当り前ということになる。そういった意味で、日本人は日本の何が日本的なのかを本当は分からないかもしれ ない。本当にある文化を理解しようと思ったら、その国の人になってしまってはいけないというパラドックスがここにある。 私 が日本をテーマに写真を撮る気持ちになったのは、アメリカ人に「あなたは日本人なのになぜ自分の祖国の写真を撮らないの」と聞かれた時だ。それまであまり 日本に対して興味を持てなかった。むしろエキゾチックな南米とかアフリカとかに行っては面白がっていたし、日本的なものに対して、何か気恥ずかしさを感じ ていた。しかし、私の知り合いのアメリカ人の写真家達が日本に行って撮ってきた写真を見せられると。その私が恥ずかしいと感じる、いかにも日本的なもの を、いともすんなりと撮っていて、それが結構良い写真なのに驚いた。なるほど、自分が日本人だからと言って、変に日本にこだわることはない、あるがままに 撮れば良い、もうずいぶん日本を離れて生活しているのだからまるで外国人のような目で日本を撮れば良い、と思って撮りだしたのが、このJapanese Studiesです。異国を見る外国人の目がそうであるように、時にはつまらないことに興味をもったり、皮肉っぽく意地悪な目で見たり、間違った解釈をし たり、と色々ですが、これらもひょっとしたら今まで気がつかなかった日本的日本なのかもしれません。
渡邉博史 |
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