1997年~2008年まで11年間に渡り、標高5300m(チベット高原)~0m(上海)まで、中国の大河・長江6300kmの流れを幾度も辿り写真に納めてまいりました。長江が流れる12省、15民族が暮らす地域を訪問、延べ滞在日数1000日を超えました。
重たいカメラ機材を担いで何か月間も単身で旅することは、交通インフラが整った今では考えられない意志と体力が必要でした。行く先々で出会う人々の親切にどれほど助けられたことか。そして、ようやく旅から戻ると、ほっとするどころか、 「長江」への尽きることのない情熱が湧き上がってきました。身も心もすっかり「長江」に憑かれてしまった私は、さらなる旅へと向かいました。
とりわけ「長江」の源流への旅は過酷を極めました。2台の四輪駆動車は幾筋もの河川を渡り、泥濘にはまり、酸素不足によるエンストを繰り返しました。車を降りた後は歩きに歩きました。ようやく辿り着いたのは標高6621mの雪山の斜面を覆う氷河の舌端部(標高5500m)。鋭く垂れ下がる氷柱から、何万年もの時を湛えた“雫”が滴り落ちていました。身を低くして氷柱の下に潜り込み、その一滴を、指先にそっと受け止めました。
一瞬・・・時が止まり、
「長江」が、私の身体の中で、音を立てて流れ始めました。
このたび初のモノクローム写真作品集『長江六千三百公里をゆく』(冬青社刊)を編むにあたり、かつて夢中になった風景や暮らしの中に、ふたたび佇みました。ありがたいことに写真は、時間の経過を瞬間的に、しかも持続的に体験させてくれます。そして過去と現代、未来が激しく交錯するこの世界に「調和」をもたらしてくれます。中国が最も目覚ましい経済発展を遂げ、世界が大きく変化した時代。私を途方もない旅へと導いたのは「今、まさに失われようとしているアジアの原風景を記録したい」という切実な願いと「いつの日か、アジアの懐かしい未来を見てみたい」という明るい希望でした。
目に見えないウィルスへの恐怖と、情報の洪水によって、人と人、国と国との分断が加速する時代に、一石を投じることができれば幸いです。
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