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「標景」
菊地 一郎
Ichiro KIKUCHI
2014年8月発行
3,800円+税
上製本/写真112点
サイズ 260×270×20mm
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われわれはつきつめれば、日々、こうした「違和する風景」に出合っていながら、多くの場合、無頓着である。そうした感覚を祖先から受け継いでいることはたしかなことであるが、そのことの是非を論ずるよりも、「違和する風景」がつくりだすフシギ観を十分味わったほうがいいだろう。
なぜならば、ときに「違和する風景」は人智の及ばないほどの〈風景〉をつくりだすからである。その昔、現代美術のジャンルに、〈アースワーク〉というコンセプチャアル・アートがあった。何もない自然に人工物をつくっていき、〈風景〉にささやかな違和を生じさせるもので、作品として提示されるのは航空写真であったりする。このアートはつくるほうも見るほうも「眺めを認識する」というアクションなしには成立しない。それよりも、わたしは、日常で接する「違和する風景」が、アートであろうとなかろうとおかまいなく静かにありつづけていることに、何かの示唆を考えるのである。
(美術評論家 斎藤一夫氏 解説より抜粋) |