「農」の風景を訪ねる旅を始めて10年が過ぎようとしている。旅先で出会った風景は目に焼き付き、交わした農家との会話と、舌で感じた味は僕の記憶にしっかりと残っている。撮った写真以上にその蓄積が今の僕をつくっているように思う。 初めて出会った人には必ず出身地を聞く。その土地の「農」が会話のきっかけをくれるからだ。
「宮城ですか。この時期はセリが美味しいですね。霜が溶けるのを待って収穫する。寒い中大変ですよね。でもあれは鍋には欠かせませんね」とか「福井ですか。大野の里芋は日本一ですよ。あの粘り気。ああ、食べたい」とか。その人と僕の頭の中には、朝日をゆっくりと浴び、霜に覆われていたセリが鮮やかな黄緑色に変わる様や、上庄里芋の大きな葉が真っ青な空に揺れる景色がぶわっと広がっている。そして故郷のおいしい野菜を褒められて嫌な思いをする人はどこにもいない。
都会育ちだという人にも父親の実家がとか、先祖がとか、かならずどこかの土地と繋がっていて、思い出の風景の中に必ず「農」がある。僕たち日本人にとって「農」の風景は原風景であることをあらためて感じている。
「土地が人の暮らしをつくり、人の暮らしが風景をつくる」そのことをテーマに写真家として歩いてきた。「農」に始まり「川」「半島」「島」と場所を変えてきたが、どこへ行ってもそこにある風景には 人々の工夫や努力が歴史として刻まれていた。一見自然に生えているように見えるりんごの木は、真っ赤な実をならすために農家が日当たりを考え、手をかけてつくった造形美である。小松菜定植を控えた畑は、耕されたあと丁寧にならされて、その土は土というより柔らかな布団のようだった。急峻な斜面に積まれた石垣は、よく見ると一つ一つは歪な形をした石の積み重ねである。石と石が隙間なく見事に噛み合って支えている。それらはみな人が自然から継続的に恵みを享受しつづけるために時間をかけつくり上げてきた風景だった。
山間の農村に人が暮らしを終えて去った民家がひっそりとたっていた。山藤に覆われ、今にも朽 ち果てようとしている。そこにあった「農」の風景は終わりを迎えようとしていた。人が営みを止め ればその場所はすぐに自然へとかえってく。僕たちの暮らしが自然と常に接していることを感じさせてくれる光景だった。営みと自然。その二つがつくった日本の原風景。僕たちは、どこからきて、どこへ還っていくのか、この「農」の風景を眺めながら僕はもうすこし考えていきたい。
公文 健太郎
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