冬青社/池柚里香(以下「池」):今回の展示「Reconstructed」は一見すると多重露光のようなイメージですが、どのようなコンセプトで制作したのですか?
浦川: 本シリーズは一つの建物を被写体に、それを異なる視点から見た複数のイメージの重ね合わせによってつくられていて、この方法はキュビズムに着想を得ています。
ピカソはキュビズムにおいて、複数の視点から見た視界を一つのイメージとして表現した言われています。しかし、もう少しシンプルに、ピカソには本当にそのように見えていたと考えれば、彼の頭の中で統合された多様な認識を一つの絵画として鑑賞者に提示したと言ってもよいでしょう。
一方で本作は、都市と建築をつくる側にいる人々と一般の人々との間にある、都市と建築に対する認識の差異が起点になっています。この認識の差異とは、私自身が学生の頃から感じていた感覚で、つくる側の思いに反して都市と建築は一般の人々から目を向けられていないということです。
都市と建築をつくる側の認識は、建物のファサード※に正対したイメージに代表させています。これは立面図という外観を表す設計図とほぼ同じようなヴィジュアルになり、設計図と同じ様に出来上がった建物を認識できる唯一の視点です。一方で一般の人々の認識は、建物を都市景観の一部として見るストリートビューに代表させています。これは全ての都市生活者が都市や建築に向けている視点で、その視点は特定の建物をほとんど意識することのない、いわば無意識の視点です。
※「顔」を意味するフランス語が語源。建物の一番メインとなる外壁のこと
これら2つのイメージの重ね合わせから表れたイメージは、時間と空間の捻れ、規律と混沌が混在していて何とも言えず魅力的でした。場所の記憶の断片である建築と場所の記憶の蓄積である都市が互いに干渉し合うことで生まれたイメージの中に、アメリカの建築家ロバート・ヴェンチューリが著作「Complexity and Contradiction in Architecture(建築の中の複雑さと矛盾)」の中で唱えた都市に潜む複雑さと矛盾が浮き彫りになったように感じたのです。
池: 「Reconstructed」は、制作までに別の形で2回の作品制作を経たと伺っておりますが、その経緯についてお聞かせいただけますか?
浦川: 先程お話しした本作のアイデアを得た当初は、カラー作品として制作しました。2016年に個展を行った「見えない都市 〜invisiblecities〜」です。カラー作品としたのは、都市の中に溢れる様々な「色」を、都市と建築を捉えた写真に大切な要素として強く意識していたためです。先ほどお話しした認識の差異を色の差異として表現することを意図していました。
同じく2016年、「見えない都市 〜invisiblecities〜」を素材に、墨田区の写真ギャラリー「Reminders Photography Stronghold」が主催するワークショップ 「Photo Book As Object」に参加して、その成果としてアーティストブック「Tokyo Perspective」を50部限定で制作しました。この本は、Tokyo Art Book FairやPhoto London等、いくつかのダミーアワードやブックアワードでショートリストやロングリストに選んで頂けました。
「Tokyo Perspective」は「見えない都市 〜invisiblecities〜」をベースとしていますが、一見すると全く違う印象を受けると思います。複数のイメージの重ね合わせは線画で表現し、その線画と元になった写真のコラージュ、線画の元となった写真のクローズアップ、そして東京の都市史にまつわるアーカイブで構成された、A3変形版134ページの本そのものが作品です。
認識の差異を一つのイメージに落とし込む「見えない都市 〜invisiblecities〜」のコンセプトを縦糸に、都市と建築の歴史を横糸として、関東大震災からバブル前夜までの東京という都市の歴史を綴る物語となるよう、内容に繋がるブックデザインにもこだわって制作しました。
そして今回モノクロ作品として制作したのが「Reconstructed」です。「見えない都市」で色の差異による表現を試みた認識の差異、そしてヴェンチューリが唱えた都市の中の複雑さや矛盾、それらを一枚一枚のモノクロのイメージにどう表現するかを強く意識しました。写真にとって重要で大量な情報である色彩を無くし、カラーのイメージを形とトーンに還元したことで、それはより明確に表現できたと思います。また28点の作品を一望できる展示というフォーマットによって建築デザインの歴史的変遷を見ることができるので、「Tokyo Perspective」の横糸となった東京という都市の歴史も実感していただけると思います。
冬青: これまでカラープリント、アーティストブック、モノクロプリントと制作してきて、今回のモノクロ作品に、どのような表現の特徴を感じましたか?
浦川: 「Reconstructed」は私にとって初めてのモノクロ作品ですが、写真の中で大きな情報量を持つ色彩を無くすことによって、様々な「形」の存在がより強く打ち出されるように感じました。また色彩が無くなったことで、重なり合う各々のイメージを認識しやすくなっていると思うので、鑑賞者は作品の中に入り込みやすくなったかもしれません。
冬青: 被写体となる建物はどのように選んでいるのですか?
浦川: 被写体は、東京23区内にある地域々々のランドマークになっていると私が判断した建物です。これまでに撮影した建物は50棟前後、今回の展示で作品化した建築は33棟です。35点のプリントを制作して28点を展示しました。
冬青: 「ランドマーク」となるような建築とそうでないものはどう違うのでしょうか? 例えば東京の下町などは、ランドマークというよりは「街並み」そのものの印象が強い感じ がするのですが、そのような「街並み」が都市に及ぼす影響についても、何かお考えがあれ ばお伺いしたいです。
浦川:ランドマークという言葉は一般的に「目印、目標物」という意味で使われますが、「他の何かに影響を与える重要な出来事、変化、発見」という意味もあるそうです。
「目印、目標物」から拡張して「都市に影響を与える重要な建築や構造物、街区割り等の構造」と捉えると、ランドマークとランドマーク以外を区別するのは規模の大小や高さではなく、都市における重要性です。私見ですが、それを読み解くカギは、立地、形、時間の経過にあって、それらが複雑に絡み合って「場所の記憶」を形成するのだと考えています。
そうすると建築群が景観を形成する「街並み」もランドマークになりえますよね。街並みが都市を特徴づけている例は国内外にたくさんあります。そしてランドマークと言えるまでの重要性を持った「街並み」は、新しくつくられる建物に対して大きな影響を与えるはずです。
冬青: 4月3日のオンライントークイベントで話題になっていた、美術家 森村 泰昌さんが語っている戦後日本の「中心のない空虚さ」に関連して、東京をはじめとする日本の都市が空虚であるなら、ひょっとして日本の都市は人々に「虚像」として認識されているのでしょうか?もしそうであるなら、それはなぜなのでしょう?東京をはじめとする私たちが見ている日本の都市は本当に「虚像」なのでしょうか?
浦川: 東京では、大量の人が往来するターミナル駅のある地域、あるいはターミナル駅が無くとも経済と商業が集積した地域が、人々の活動や社会を支える複数の中心を形成しています。それにもかかわらず森村さんの言う「中心の無い空虚さ」を私自身も感じます。
まず中心不在について考えてみると、現代の東京の都市構造の起源は江戸時代より少し前の太田道灌まで遡リますが、その頃から続く確固たる中心が存在しています。かつて江戸城だった皇居です。東京を中心とした首都圏の都市構造は広範囲に皇居の影響を受けていて、皇居を中心に環状道路と放射状道路で構成されていることはよく知られているとおりです。東京における皇居は、アルド・ロッシが著作「都市の建築」の中で定義した「都市的創成物」に該当することは間違いないと思います。
ロッシが定義した「都市的創成物」とは、都市の変化にプラスにもマイナスにも多大な影響を与える要因で、ロッシはイタリア、パドヴァのパラッツォ・デラ・ラジョーネという建物を具体例として挙げています。日本の都市で挙げるなら京都の街割りは分かりやすい具体例の一つです。「都市の建築」邦訳版の見返しに京都の街割りの絵図が用いられていますが、これはロッシの示唆があって採用されたそうです。この「都市的創生物」、さきほどのランドマークのもう一つの意味、「都市に影響を与える重要な建築や構造物、街区割り等の構造」にとても似ていませんか?
東京の構造的な中心であり「都市的創成物」である皇居をどう捉えるかですが、その大きな特徴は接している地域に対して直接的に影響を与えることもなければ、影響を受けることも決してない、実に不思議な中心であるということです。構造的には、東京は「中心の無い空虚な場所」というよりも「空虚な中心を持つ都市」といった方が相応しいように思えます。中心なのに発散も吸収もしないわけですから、ここに空虚さの一因があるかもしれません。
一方、東京をはじめとする日本の都市に漂う空虚さは、記憶の希薄さと一様性にも起因しているのではないでしょうか。記憶の希薄さを生み出している一つの要因はスクラップ・アンド・ビルドで、よく日本の建築は木造の文脈にあるからやむを得ないと言われますが、それだけが原因ではないと思っています。それほど老朽化していなくても取り壊される建物や、逆に相応に古くなっても大切に使われている建物について、木造建築の文脈だけでは説明できません。
では何がスクラップ・アンド・ビルドを加速しているのか?一つは経済の力で、地価の高さや償却資産としか見られない建物の会計上の扱い等です。もう一つは建替えを促す強い制度設計です。これは何度も大地震に見舞われた日本ならではのことで、より大きな地震の被害を受ける度に構造基準が厳しくなって旧基準の建物は新基準を満たさなくなるというジレンマに陥ります。そして建替えを促す制度設計にはもう一つの流れがあって、大規模な建替えの方がより大きなお金が動くことを見込んだ制度設計がされています。大規模開発に公共貢献要素を取り込めば、その対価として大きなインセンティブが用意されているわけです。
記憶は時間の経過とともに変化していくものですから、何でもかんでも凍結保存や建替え前にあったものを復元することを好ましいとも思いません。しかし東京という都市の記憶の希薄さは極端で強烈です。それが東京の特徴だという意見も分からなくはないですが、都市として希薄な記憶しか持ち得なくて本当にいいのかな?という疑問が湧いてきます。
一様性については多くを語るまでもなく、東京に限らず国内の主要都市がどこも似たり寄ったりになってきているように感じている方々は少なくないのではないでしょうか?一方で一様性に飲み込まれていない地域もあって、東京では、代官山、浅草、荒木町、ゴールデン街あたりでしょうか。地方都市に目を向ければ、京都、金沢、倉敷、広島、長崎、札幌等を思い浮かべます。ただこれらの地域や都市も、ちょっとしたことで堰を切ったように、一様性に飲み込まれる可能性があることを忘れてはいけないと思います。
私は日本の都市が虚像であるとは思いたくありませんが、こうして考えてみると場所の記憶の希薄さと一様性によって空虚さを抱えた都市は、確固たる実像を持てない虚像なのかもしれませんね。
冬青: いま手掛けられている他のシリーズを含め、浦川さんの作品制作においてどんなことがモ チベーションとなり、軸となっているのでしょうか?
浦川: 一番のモチベーションは都市や建築に対する尽きない興味ですね。たくさんの方々に都市や建築に興味を持ってほしいと思っています。また建築家を志していた時から感じている、日本の都市で繰り返されるスクラップ・アンド・ビルドに対する違和感、これも作品制作のモチベーションです。そして建設プロジェクトのコンサルトとして少なからずそれに関わっていることは、私自身が二律背反し相矛盾するところでもあります。
日本の都市は戦後復興から高度成長期とバブル経済、そしてバブルの崩壊を経て人口減少に向かい、これまでの拡大志向ではない変化に舵を切る時が来るはずですが、「中心の無い空虚な場所」に何を見つけ、どのように提示していくか、作品作りの大切なテーマであると思います。
浦川和也写真展「Reconstructed」の作品は作家HPにてご覧頂けます
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