−展示案内−
アフリカや中東で続く内戦を撮り続けて約10年。
あくまで個人的な考えですが、写真家・ジャーナリストとして紛争地へ行くことは、必要なことであり、
意義のあることだと信じて疑わないし、決してお金のためだけじゃない何かの為の行動だと思っている。
でもそれが時にはエゴとして現地の誰かを傷つけたり、不安にさせたりするなんて
当時の僕は考えもしていなかった。
アフリカの戦場に限ったことじゃないけど、現地で危険を冒して取材をする場合には
それなりの準備と覚悟がいる。
ドライバーや通訳、フィクサーと呼ばれるコーディネーター、そして武装したボディーガード。
最低でもこんな面々を現地で雇う。それは万が一のためで、決して誰かを傷つけたり、脅したりするためではない。僕の被写体となってくれる市井の市民の生活を脅かす戦争を起こす人間とは全く異なる。
と僕は勝手に信じていた。
こちらを不安そうな顔で覗き見る子供達。
カメラを構えてシャッターを切る僕。
その瞳の中に映った僕の周りには、取材のリスクを減らす為に僕が雇ったコーディネーターやボディーガードたち、数人の大人達が映り込んでいた。
それを見てハッとした。
僕は目撃者であると同時に「被目撃者」でもあった。
そしてもしかしたら僕が目撃している以上に僕自身は彼らに見られていたのだ。
彼らが見ているのは…
日本から来たイチ写真家を通じて彼らたち以外の外の世界を見ている。
それは内戦を続けている自国のリーダーたちだったり。そんな当事者たちを支援する周辺国であったり。
そんな周辺国と利害関係にある先進国だったり。
遠い世界のどこかで起こっていることには無関心であり続ける日本という国であったり。
僕は今でも考え続けている。これからも考え続けるだろう。
現地で写真を撮って、世界へ向けて発表することにどんな意味があるのか?と。
僕のこの行為がいったいどれだけあの子たちの為になっているのか。
食べ物を与えることも出来ないし、怪我や病気も治してやれない。
不安や恐怖を取り除いてやることも笑顔にだってしてあげられない。出来もしない宿題ばかりが増えていく。
間違いなく彼らは見ている。文化も歴史も距離も世代も超えて僕たちのことを見ている。
この同じ時代に生きている者として何ができるのか。
だから僕は今すぐじゃなくても、きっといつかこの国の為に、この人たちの為のなにかになれるって信じてやっていこうと思う。
これが写真を通じて世界を視ること、そして写真を通じて表現することへの責任だと考えている。
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