人生の初夏とも云うべき20代の大半を、ハンガリーの首都ブダペストで過ごした。音楽の勉強がその目的だった。帰国後、ブダペストを再び訪れようと思いながら、気がつくと14年の歳月が過ぎていた。
ハプスブルク帝国の面影を現代に残すこの街への再訪は、留学当時の自分自身と街の姿に再会する旅でもあった。しかし時代は大きく変わり、かつて自分が過ごしたブダペストの街は既に存在していなかった。過ぎ去った年月と街、この地に生きて活躍した音楽家達の跡という過去の亡霊を追いかけ、ブダペストの街を彷徨った。
ハンガリーと同じくハプスブルク帝国の領土であったチェコは、「新世界より」のドヴォルジャーク、「わが祖国」のスメタナを生み、首都プラハではオペラ「ドン・ジョヴァンニ」が作曲者のモーツァルト自身の指揮により初演される等、音楽ゆかりの地。又、中世の都としての重厚な表情も見せてくれる。
しかしいかなる帝国といえども永遠には続かない。ゆっくりと夢幻の如く、650年続いたハプスブルク帝国は消滅した。Adagietto(非常にゆっくりと)は、1902年に作曲されたマーラーの交響曲5番第4楽章で、ヴィスコンティ監督の映画「ヴェニスに死す」にも使用された、甘美な中にも緊張感を漂わせた名曲。嵐の前の静けさ、とでも言おうか。破滅に向かう前の美と静、帝国の残り香といったものが籠められている。
19世紀が遥か彼方となった今だからこそ、帝国を生きた音楽家達が活躍した時代と街、彼らの作品と向き合っていた自分自身の過去の声に耳を傾けたくなったのかもしれない。
※ グスタフ・マーラーはボヘミア生まれのオーストリア人作曲家、指揮者。ハンガリー国立歌劇場の音楽監督を務めた事もある。ハプスブルク帝国末期に活躍。
大山葉子 |