私達はすべてのものと同様に、過ぎ去っていく。
夢と希望は、やがてばらばらに散ったり、また再び集まる瞬間へと、私達を導く。
私の母は、昨日と同じ毎日を繰り返し生きている。
彼女の夢は夢であり続け、彼女の希望はもう自身には向いてはいない。
家は彼女の全世界となり、そこで毎日繰り返される生活のサイズにふさわしい規模の経験をする。
私がそこに居る間、私は彼女の世界を旅して、どこまで遠くに行けるのか、
どんなに深く意味できるのかを想像してみる。
母に唯一残されたちっぽけでだたっ広い世界に存在する小さな生き物を、私はテーブル越しに眺める。
その風景は、ここにはもう大きな変化はないのだと認識させるような、「永遠」を収容している。
クリスマスには、あたかもカーボン紙に書かれたかのように、同じことが毎年繰り返される。
台所の母は毎年同じように料理を作る。「同じ」ということを信じ、「同じ」ということに安心しているのだ。
それはある種の儀式で、母は何日も台所にこもり、家族や親戚が集ってテーブルを囲む。
母が台所で恒例のチョコレートクリームのケーキを準備している間に、
彼らはまるで野生動物のように恒例のうさぎの肉を食べる。私は痕跡を見る。
そこに取り残された小さな残存を。
日が暮れると彼女はソファーに座って眠る。私はそっとそばに近づく。よかった、眠っている。
私は彼女をそっと見つめる。それが永遠であればいいのにと思う。
どんどん小さくなって、どんどんやわらかくなって、やがて静かに消えていくのだろう。
母には夢があった。かつて未来は金だった。それはいつも輝き続けたが、かなえる時間はすでにもうない。
私は自分の立ち位置を探す。一定の距離を持って。私は思い、そして感じる。大きく目を見開いて、
閉じた口で語りかける。私は彼女に寄り添い、自身のにおいを嗅ぐ。
この作品で私は、感情のない、もの悲しさに満ちた母のちっぽけな裸の人生をまとめようと試みた。
私は時の中に可能な限り、自身の姿を映し出す。
バス ウィルダース |