弓田 純大 写真展「エルシー・シンドローム」 2011年10月7日(金)〜29日(土) 作家略歴 オリジナルプリント |
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C prints, 88x107mm, matted in a 8x10inches archival matte with a frame, edition of 5, with Sumio Yumita's signature and edition notations | |||
Copyright (c) Sumio Yumita All Rights Reserved
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Toned gelatin silver prints, image size 85x105mm, matted in a 8x10inches archival matte with a frame, edition of 5, with Sumio Yumita's signature and edition notations | |||
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『 エルシー・シンドローム 』
人が持つ指向性や価値観は、大体10代で決定されて、感性の「幹」が完成するものだと思う。一度完成した「幹」は、その後も大きく変わることはない。 年を経てから学んだ知識というのは、完成した「幹」に枝葉が付いていくだけなのだろう。 私が10代に好きになった諸々のものは、今でも変わらず好きであるし、私の物事に対する考え方の根底をなしているようだ。
私は中学時代、同級生に好きな女の子がいたが、彼女は2年の秋に転校してしまい、それから二度と会えなかった、という経験をした。 そんなことはよくある話だ が、彼女を喪失した経験は、私にとって決定的な出来事であり、彼女の存在は私の作品制作に、大きく影響を及した。当時の恋心という感情論を超えて、「彼 女」と「彼女が纏っていた空気」は、私が作品を制作する上での、「世界観の基準」となっている。今でも私は、14歳の時に見いだした「彼女が纏っていた空気」越しに世界を見て、絵を描き、写真を撮っているのだと自覚している。 しかしそれは、感傷的に「彼女の面影を対象に求めている」、ということではない。モチーフが人物であろうと風景であろうと変わりなく、「彼女が纏っていた空気」が作品を創るための一つのフィルターになっている、ということだ。 彼女を喪失した経験が、私の作品世界の源泉となっていて、もし彼女が転校してなかったら、きっとこのような価値観は生まれなかっただろう。 私が敬愛している造形作家に、これと似たエピソードがある。 彼はある少女の写真をとても大切にしていた。しかしある日、彼はその写真をなくして しまった。彼は敬虔なクリスチャンで、神に祈って写真を探し回ったがとうとう見つからなかった。彼は写真を取り戻せなかったことで神を恨み、信仰を捨て、 少女を想う気持ちを作品に昇華させたという。 彼がなくした写真の少女は、「エルシー」という名前だった。
弓田 純大 |
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