藤田 満 写真展「在所」

2011年4月1日(金)〜23日(土) 作家略歴     写真集

Gelatin silver prints, 11x14inches, edition of 5, with Mitsuru Fujita's signature and edition notations

 
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在所それとも電信柱

 1月の小雪ちらつく日、佐賀嬉野市と鹿島市を分ける山地の高所集落を撮影していたら、通りがかった地の人が車のナンバーを見ながら声を掛けてくれた。

 隼人 瓜が今年は沢山採れておいしいから持っていかないか、という。きっかけはなんであれ、郷の人と知りあうのは嬉しいので付いていった。斜面を50mほど降っ た農家の脇の水気のたつ藁むろを掻き分けて、好いだけ持っていってくれと言う。夏みかん位のを三つ抱えて礼をのべると、さらに15−6個ほどをビニール袋 に入れて車まで運んでくれた。またこちらに来たときには寄ってくれと言う。ひとり暮らしだそうだ。たがいに名も知らぬまま首肯き合って別れた。ただこの人 の方言には、佐賀の経験が深いはずの私も少し困った。

〈在所〉という言葉が日常の会話や文章に見られなくなり、その意味を辞書に頼るようになって久しい。けれど在所は生きている。地方・地方のどこにでも、風土に根ざした嘘ではない風景をじっと湛えている。斎藤茂吉の歌「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片」を口遊むと、このことを言い表して紛れもない、ということに気がつく。

 

 ながく写してきた田舎の写真をあらためて見直すと、どの写真にも電信柱と電線が交差して意味もなく写っている。

 

 それはとくに気に留めたというわけではなく、在るものはそのまま、除け者にせずに写しこんだ結果なのだが、ピントグラスの逆さ電柱に誘われてその先へ行ってみる、ということも確かにあった。

 私の知るロマンチシストの写真家某氏は〈この電線はながれる星のようだ〉と言ってくれた。それはきっとお世辞にちがいない。

 

藤田 満


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