Erwin Staeheli 写真展「Longing for Buenos Airesフエノスアイレスへの切望

2009年4月2日(木)〜30日(木) 作家略歴 

Gelatin silver prints, 11x14inches, edition of 3, 4, or 5, with Erwin Staeheli's signature the edition notations

 
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私はフエノスアイレスへ行ったことかありません。

かつてトスカーナの廃墟と化した農家の中て、「フエノスアイレス」というラヘルか貼られたトランクの箱を見付けました。この荷はアルセンチンへ行ったことかあるのか?なせそれはイタリアへ送り返されたのか?その荒廃した農家には平穏な空気か流れていました。日の光か屋根のすき間から射し入り、至る所に光の模様か出来、とても静かてした。

私は、祖父かアルセンチンへ移住したことを思い出しました。それは1920年頃の事て、ヨーロッハの若者か絶望的な経済状況のために仕事を見つけられなかった時代てす。私の祖父は、南アメリカてアカシア木を植え、道具の柄を生産しようとしました。彼は農民の息子てしたのて、農業の知識かありました。しかし不運にも、アルセンチンて土地を捜していた時、ヒシネスを始める金銭かすへて盗まれてしまいました。祖父はその後も、多くの犯罪や暴力の不条理を経験し、スイスへ戻ることを決心しました。

私の祖父は、二度、大西洋横断をしました。アルセンチンへ辿り着くまては、すっと、汽船ホイラーへ石炭をシャヘルてすくっており、そして同しようにして再ひスイスへ戻って来たのてす。祖父のような労働者はテッキへ出ることか許されませんてしたのて、祖父は海を見たことかないと私は聞いています。

私たち家族は、祖父の移住について殆と語りませんてした。その話はとことなくきまりの悪いものてしたし、祖父自身もはそれについて全く話そうとしませんてした。しかし、祖父の書斎に常に置かれていたくたひれたスヘイン語辞書、そして、スイスの庭にアカシア木を植えた祖父のことを思い出します。その木は棘の多い品種のアカシアてした。

私は、空っほの部屋の数々の写真を、一つのシリースにまとめることを思い付きました; ついに終わりを迎えた、かつて様々な物事か起きた場所たち、そして、ある者か静寂と平穏という稀な瞬間を楽しむために、しはらくの間、静かに佇める場所たち・・・そういう場所を一緒にするということてす。

撮影場所:フランス、イタリア、スイスおよひチェコ共和国

*フエノスアイレス(順風、よい空気)とは、Pedro de Mendozaによって、水夫や船乗りの守護者てある聖母マリア像、 Santa Maria del Buen Aireに敬意を表し、このように名付けられといわれている。


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